『アーダ』ウラジーミル・ナボコフ
『アーダ』ウラジーミル・ナボコフ読了。ずいぶん時間が掛かってしまった。うーん、公私ともに忙しかった、と言い訳をしておきたいな(笑)。
アーダとヴァン、そしてルセット、父ヴィーン母マリーナの物語、と言ったほうが簡単な気がする。そして近親相姦。そして近親であるからこそ、という安っぽい倒錯が出てこないのが、ナボコフのすごいところ、と言ったところか。詩的表現、言葉遊び、そして過去作品――『青白い炎』――からの引用(?)。実にナボコフらしい作品。文章自体も、ヴァンとアーダが共作したものを――タイピングはまた別の人間――読む、という不思議なもの。三人称の中に実に心地良くヴァンの独白、アーダの感想が入ってくる。
「テラ」のくだり、「時間と空間」のくらい、は実際とても難解で理解するのが大変。前者はたぶん『アーダ』という「小説」自体へのオマージュか? 後者は小説内の時間についてか? とにかくよくわからんかった(笑)。
ただ、読み終えた今は、とても仕合わせ。そういう作品。
アーダとヴァン、そしてルセット、父ヴィーン母マリーナの物語、と言ったほうが簡単な気がする。そして近親相姦。そして近親であるからこそ、という安っぽい倒錯が出てこないのが、ナボコフのすごいところ、と言ったところか。詩的表現、言葉遊び、そして過去作品――『青白い炎』――からの引用(?)。実にナボコフらしい作品。文章自体も、ヴァンとアーダが共作したものを――タイピングはまた別の人間――読む、という不思議なもの。三人称の中に実に心地良くヴァンの独白、アーダの感想が入ってくる。
「テラ」のくだり、「時間と空間」のくらい、は実際とても難解で理解するのが大変。前者はたぶん『アーダ』という「小説」自体へのオマージュか? 後者は小説内の時間についてか? とにかくよくわからんかった(笑)。
ただ、読み終えた今は、とても仕合わせ。そういう作品。
お気に入りの文章7
『遂に肉体は無感覚で終りました。干潮は十一時五十六分と記載されています。その時刻の激浪に形骸の翻弄を委ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔し去ったのであります。』
「 Kの昇天」 梶井基次郎
「 Kの昇天」 梶井基次郎
お気に入りの文章6
『長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。』
「百年の孤独」ガブリエル・ガルシア・マルケス 鼓直 訳
「百年の孤独」ガブリエル・ガルシア・マルケス 鼓直 訳
とうとう
『アーダ』ウラジーミル・ナボコフを読み始めました。なかなかに歯ごたえのある文章が冒頭から続きますね。読み終わるのに時間がかかりそう。行きつ戻りつしながら読まないと話しがわからなくなるので。ナボコフを読む時はいつもこうなので、むしろ楽しんでいます。
傑作と名高い本作でも、ナボコフの言葉遊びが炸裂しています。まあ、それがナボコフだと言えばそれだけなんだけれど。読み終わったら、また感想を書きます。
傑作と名高い本作でも、ナボコフの言葉遊びが炸裂しています。まあ、それがナボコフだと言えばそれだけなんだけれど。読み終わったら、また感想を書きます。
「走ることについて語るときに僕が語ること」
村上春樹の自伝的エッセイって感じだったので読んでみました。しかし、スロースロップは、春樹の小説は好きなんだけれど、エッセイは好きになれないという、前々からの印象どおり、楽しめなかった。それなりに得るものはあったけれど、どうしてかうまく入っていけない。不思議なもんです。遠藤周作は小説もエッセイも大好物なのに。筒井康隆だって、高橋源一郎だってどちらかが嫌いってことはない。でも村上春樹のエッセイだけは・・・・・・。嫌いじゃないけれど、好きでもない。そういうことです。


