好きな画家
たまにはアニメや小説から離れるのもいいかもしれない、ということで好きな画家を挙げます。
『ジョルジュ・ルオー』
・たまたま訪れた地方の美術館に――湖のほとりにあって、湖面に太陽の光りが反射していてキレイだったなぁ――かかっていて、見た。すごい迫力。絵をよこから見たら絵具が盛り上がっていて――説明では溶岩のようなって言われていた――絵というより粘土とかなんかそういったものの創作って感じだった。そしてキリスト関係の絵画が多くて、なんとも言えず悲しく寂しい絵が多かった。ピエロの絵とかも悲哀を感じてとても良かった。聖書の場面を絵にした一連の作品はとっても重厚で、なんか強い力があった。うーんとても好きな画家です。
『トゥルーズ=ロートレック』
・この人は油彩よりポスターの方が魅力的。人間が生きているみたいに見える。正確に描かれている。正確っていうのは写実的ってのじゃなくて、なんていうか、性格とかその時の雰囲気なんてものが表れている気がした。すごくユニークな画家だと思う。
この二人がとりあえず好きな画家です。ほかにもモネとかヴラマンクとかシャガールとかモディリアーニとかお気に入りは多いけど、やっぱりこの二人かな。
あと好きな絵としてドミニク・アングルの『トルコ風呂』がある。『グランド・オダリスク』とか有名な絵は多いけど、これがとても好き。退廃的な感じと妙になまめかしく官能的なんだなこれが。二年前に京都にルーヴル美術館展ってのがやってきて、この絵のためだけに見にいったよ。とても感動的だった――他はもちろんすごい絵ばかりだったんだけれど、印象派以前の絵ってどうも楽しめないんです――この一枚の絵のためだけに行った意味はあったと思えた。
覗き穴をのぞくみたいに丸い額縁は衝撃的でやっぱりエロイよね。
ほかにも好きな絵はたくさんあるよエミーユ・ノルデの『黄色と緑による女の肖像』とかエリー・ドローネーの『オフェーリア』(このオフェーリアは美人過ぎて驚いて、初めて絵の中の人に惚れた)とかね。どっちも下関の美術館で見た。
しかし絵っていう表現も面白いよね。なんか最近では絵を「読む」っていう見方があるみたいだし。まあ絵に関してはまったく知識がないからなんとも言えないけれど。でも一つだけ言えるのは、絵をみるとめちゃくちゃ疲れる。なんかパワーにやられる。シャガールの時とかしばらくベンチから立てないくらい消耗した。ピカソとブラックの時も疲れた。
楽しく疲れる絵画鑑賞。今年の夏はどこか美術館に行けるんだろうか・・・・・・
『ジョルジュ・ルオー』
・たまたま訪れた地方の美術館に――湖のほとりにあって、湖面に太陽の光りが反射していてキレイだったなぁ――かかっていて、見た。すごい迫力。絵をよこから見たら絵具が盛り上がっていて――説明では溶岩のようなって言われていた――絵というより粘土とかなんかそういったものの創作って感じだった。そしてキリスト関係の絵画が多くて、なんとも言えず悲しく寂しい絵が多かった。ピエロの絵とかも悲哀を感じてとても良かった。聖書の場面を絵にした一連の作品はとっても重厚で、なんか強い力があった。うーんとても好きな画家です。
『トゥルーズ=ロートレック』
・この人は油彩よりポスターの方が魅力的。人間が生きているみたいに見える。正確に描かれている。正確っていうのは写実的ってのじゃなくて、なんていうか、性格とかその時の雰囲気なんてものが表れている気がした。すごくユニークな画家だと思う。
この二人がとりあえず好きな画家です。ほかにもモネとかヴラマンクとかシャガールとかモディリアーニとかお気に入りは多いけど、やっぱりこの二人かな。
あと好きな絵としてドミニク・アングルの『トルコ風呂』がある。『グランド・オダリスク』とか有名な絵は多いけど、これがとても好き。退廃的な感じと妙になまめかしく官能的なんだなこれが。二年前に京都にルーヴル美術館展ってのがやってきて、この絵のためだけに見にいったよ。とても感動的だった――他はもちろんすごい絵ばかりだったんだけれど、印象派以前の絵ってどうも楽しめないんです――この一枚の絵のためだけに行った意味はあったと思えた。
覗き穴をのぞくみたいに丸い額縁は衝撃的でやっぱりエロイよね。
ほかにも好きな絵はたくさんあるよエミーユ・ノルデの『黄色と緑による女の肖像』とかエリー・ドローネーの『オフェーリア』(このオフェーリアは美人過ぎて驚いて、初めて絵の中の人に惚れた)とかね。どっちも下関の美術館で見た。
しかし絵っていう表現も面白いよね。なんか最近では絵を「読む」っていう見方があるみたいだし。まあ絵に関してはまったく知識がないからなんとも言えないけれど。でも一つだけ言えるのは、絵をみるとめちゃくちゃ疲れる。なんかパワーにやられる。シャガールの時とかしばらくベンチから立てないくらい消耗した。ピカソとブラックの時も疲れた。
楽しく疲れる絵画鑑賞。今年の夏はどこか美術館に行けるんだろうか・・・・・・
写真という物語
木村伊兵衛という写真家がいた――1974年に亡くなっている――スロースロップはその人の写真を、一目見て、惚れた。もうベタ惚れ。というかそれまで、写真家の写真というものをきちんと見たことがなかった――アラーキーの女性の写真は何度かあったけれど――
なんというか、それが写真だとはわかっているが、その写真が持つ生々しさに圧倒された、といった感じ。そこには戦後間もない日本の人々が写り、東北地方のとんでもない美女が写り、生き生きと動き回る子供たちが写っていた。中でも『本郷森川町28.4.7』(タイトルはちくま文庫『木村伊兵衛 昭和を写す2』によった)に写っている四つ角(おそらく?)はとても不思議な写真だ。交番の前に警官と二人のねじりハチマキをした男が何かを見ている。その横を、ちらちらとその三人を見ながら歩く初老の男。そのすぐ後ろ斜めにいる赤ん坊をおんぶしているおばさん。写真の手前には四人の幼児たち。誰もカメラの方は見ていない。まさに日常の一コマ。だがそこには日常の物語があるのではなく、日常でありながら、何かが起こっている気がする。というか、日常はあるんだけれど、ステレオタイプの、誰しもが想像するような日常ではなくて、そこに写っているすべてのもの固有の物語があるように思える。その固有の物語は見るものの想像力を刺激し、考えさせる。難しいことを考えさせるのではなくて、すごく簡単なことを考えさせる。そこには小難しい思想もないし、論理的な解釈なんてものも必要ない(とスロースロップは思う)。スロースロップ的には交番の前にいる三人はUFOかなんかを見つけて驚いているとかって思ってしまった。もちろんその可能性は低いだろうけれど。
『浅草28.6.14』という写真は、どこかのバーでの一コマ――ただの喫茶店とも見えるけれど――が写されている。机に左手で頬杖をついてうつむく男。テーブルの上、男の右手が置かれている鼻の先にはフラスコを逆さまにしたようなグラスが三つ、三角形を作るように並んでいる。中身はからだ。そしてそこから少し離れてレモンがちょうど首の部分でひっかかるように作られた少し大きめのグラスがある。底に辛うじて酒が残っている。頬杖をついた左肘の隣には何かが――つまみの食べ残し?――載っている白い皿。右肘の先にはハンカチか何かで、何かを丸めて結んである(紙をぐしゃぐしゃにして丸めたようにも見えるけれど)。
ありがちと言えばありがちなのだが、そこにも何かがある。男の疲れのようなものも感じるし、テーブルの上にある小物たちも男固有の物語に直結しているように思える。
木村伊兵衛の写真を言葉で伝えるのは難しい――現物を見てもらうのが一番いいのは当たり前だが――その難しさは、ついさっき観てきたとても面白かった映画を説明するのに似ている。頭の中にはとても面白い話しが、映像を伴って存在しているのに、いざ言葉にしてみると、全然つまらないものになってしまう。彼の写真にはそういった難しさがある――もちろんまったく同じ難しさというわけではない――だからスロースロップがいくら言を費やしても、木村伊兵衛の写真の素晴らしさを十全に伝えることなど不可能なのだ。
でも語りたくなるのが、半可通のサガ。しかたないよね(?)
写真の中にある物語。やはり人が写っているもの・・・・・・というか写真でもなんでも『そこに人がいる』表現というものは、そこに人が存在していることを表現するのがとても難しいんだろうけれど、この木村伊兵衛の写真はそれに成功しているように思う。
ちなみに木村伊兵衛に関する本を幾冊か読んだけれど、専門的な話しが多すぎて十分の一もわかりゃしませんでした。でも写真見るだけで楽しいからいいか。いいんだ、それで。
なんというか、それが写真だとはわかっているが、その写真が持つ生々しさに圧倒された、といった感じ。そこには戦後間もない日本の人々が写り、東北地方のとんでもない美女が写り、生き生きと動き回る子供たちが写っていた。中でも『本郷森川町28.4.7』(タイトルはちくま文庫『木村伊兵衛 昭和を写す2』によった)に写っている四つ角(おそらく?)はとても不思議な写真だ。交番の前に警官と二人のねじりハチマキをした男が何かを見ている。その横を、ちらちらとその三人を見ながら歩く初老の男。そのすぐ後ろ斜めにいる赤ん坊をおんぶしているおばさん。写真の手前には四人の幼児たち。誰もカメラの方は見ていない。まさに日常の一コマ。だがそこには日常の物語があるのではなく、日常でありながら、何かが起こっている気がする。というか、日常はあるんだけれど、ステレオタイプの、誰しもが想像するような日常ではなくて、そこに写っているすべてのもの固有の物語があるように思える。その固有の物語は見るものの想像力を刺激し、考えさせる。難しいことを考えさせるのではなくて、すごく簡単なことを考えさせる。そこには小難しい思想もないし、論理的な解釈なんてものも必要ない(とスロースロップは思う)。スロースロップ的には交番の前にいる三人はUFOかなんかを見つけて驚いているとかって思ってしまった。もちろんその可能性は低いだろうけれど。
『浅草28.6.14』という写真は、どこかのバーでの一コマ――ただの喫茶店とも見えるけれど――が写されている。机に左手で頬杖をついてうつむく男。テーブルの上、男の右手が置かれている鼻の先にはフラスコを逆さまにしたようなグラスが三つ、三角形を作るように並んでいる。中身はからだ。そしてそこから少し離れてレモンがちょうど首の部分でひっかかるように作られた少し大きめのグラスがある。底に辛うじて酒が残っている。頬杖をついた左肘の隣には何かが――つまみの食べ残し?――載っている白い皿。右肘の先にはハンカチか何かで、何かを丸めて結んである(紙をぐしゃぐしゃにして丸めたようにも見えるけれど)。
ありがちと言えばありがちなのだが、そこにも何かがある。男の疲れのようなものも感じるし、テーブルの上にある小物たちも男固有の物語に直結しているように思える。
木村伊兵衛の写真を言葉で伝えるのは難しい――現物を見てもらうのが一番いいのは当たり前だが――その難しさは、ついさっき観てきたとても面白かった映画を説明するのに似ている。頭の中にはとても面白い話しが、映像を伴って存在しているのに、いざ言葉にしてみると、全然つまらないものになってしまう。彼の写真にはそういった難しさがある――もちろんまったく同じ難しさというわけではない――だからスロースロップがいくら言を費やしても、木村伊兵衛の写真の素晴らしさを十全に伝えることなど不可能なのだ。
でも語りたくなるのが、半可通のサガ。しかたないよね(?)
写真の中にある物語。やはり人が写っているもの・・・・・・というか写真でもなんでも『そこに人がいる』表現というものは、そこに人が存在していることを表現するのがとても難しいんだろうけれど、この木村伊兵衛の写真はそれに成功しているように思う。
ちなみに木村伊兵衛に関する本を幾冊か読んだけれど、専門的な話しが多すぎて十分の一もわかりゃしませんでした。でも写真見るだけで楽しいからいいか。いいんだ、それで。
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